藻のブログ

日記,IT,学問(ジェンダー,人工知能など)について書かれることでしょう。

動的型つけ言語について議論した

午前10時に起きられたので良かった。


WindowsHaskell をインストールした。

Haskell じたいは良いのだが、 Sublime Text で手軽にコンパイル,実行するのに必要な Haskell のパッケージとして hsdev というのがあり、それをうまくインストールできなくてツール属性のダメージを受けた。

最終的にはインストールできたけど、かなりめんどくさかった。「C のコンパイラが見つかりません」とか言われたりした……(知るか!)(いかにも もともと UNIX しか想定してない って感じだ。)。


先日 買った『まつもとゆきひろ コードの世界』で著者が「静的型つけはプログラムの表現力を制限する」,「動的型つけのほうが柔軟性がある(ので良い)」と解釈できるようなことを言っていて驚いた。(これは前日の話。)

それで、 gfn さんと、動的型つけの「柔軟性」ってなんなんだ?ということを話していた。 gfn さんがいうには、動的型つけのほうが表現力があるという「表現力」論者は、(静的型つけ言語における)パラメタライズ多相Java総称型にあたる。)やバリアント(いくつかの特定の型のうちのどれかである,という型)をわかっていないのではないか……ということだった。

しかしまつもとゆきひろほどの人物にこれらの知識がないとも思えないので、静的型つけをかなぐり捨ててまで実現したいことがなんなのか、けっきょくよくわからない。

真鍋さんによると、「(まつもとゆきひろは)頭はいいけど根本的に何も考えてない」のではないかとのことだった。 Ruby を作るほどの人物がそんなだとしたら、驚くべきことだ。(まあまつもとゆきひろは熱心な宗教者なので、あり得なくはないのかも……。)

そうだとすると、私が「まつもと先生のおっしゃる動的型つけ言語の柔軟性とはいったいなんなんだろう……。」みたいに悩むのも全然無駄ってことになる(笑)。

とりあえず、総称型もバリアントも知らないで静的型つけを批判する動的型つけ論者がいるとしたら、もうちょっと勉強して欲しいとは思う。


夜は『まつもとゆきひろ コードの世界』を少し読んだ。いまさら感の強いことが多く、いまのところ これと言って得るものはない。

あと Ruby 礼賛が多いのが気になる……。客観的に Ruby が優れているというなら別に良いんだけど、やっぱり自分の作った言語だからという感じがする……。


午後0時半ころに寝た。

寝ながら『すごいHaskell たのしく学ぼう!』を読んだ。(こういう頭を使うタイプの本を寝ながら読むのもどうかと思うけど……。でも読める。)

5章の途中まで読んだ。

いまのところ、つまつくところはない。しかし読んでいるだけで実際に書いていないので、文法が身についていない。ちょっと書いてみないと……。